熱中できる趣味がほしい

考え事

先日、何年ぶりレベルで焼肉に行った。何か特別な出来事があった日ではないけれど、これまでもこの先もない今日という日を特別にするために焼肉に行った。

自分の中で焼肉=脂っこくて胃もたれする図式が完成してしまい、ここ数年はずっとステーキを好んで食べていた。

実際にはカルビばかりを食べていたから胃もたれしていたのであって、しっかりメニューを考えて食べれば何も問題はなかったのだ。

趣味の棚卸をする

「おんぎゃー!」イベントが起きてからの、これまでの人生での趣味を思い返してみる。

小学生の頃はとにかくゲームが好きだった。DSとWiiを夢中で遊んでいた。特に思い出に残っているのは、ポケモンのパール、プラチナ、そしてハートゴールド。ポケモンを本来の?ポケモンとして楽しんでいた。どうぶつの森やマリオカートも好きだった。

据え置き型のWiiだとWii SportsやWii Sports Resort、スマブラXやマリオカートにも夢中だった。周りがPSPで獣を狩っている時も、自分はひたすら任天堂ワールドに浸っていた。

中学生の頃はピアノとバスケットボールが好きだった。ゲームより健全な趣味だったのではないかと思う。自分が結婚する時は結婚式でメンデルスゾーンの結婚行進曲を弾く想像をしていた。新婦がソロで入場する形だ。

高校生の頃はポケモン熱が復活していた。といってもストーリーではなく育成がメインだった。個体値、種族値、努力値、性格の存在を知ってしまった。

大学生の頃は自転車で遠くに行くのが好きだった。東は龍門の滝、西は日光東照宮、南は渡良瀬遊水地、北は矢板市まで行った。体力アップに大いに貢献したはずだ。

あまり外に出られない時期は、ポケモンとどうぶつの森に夢中だった。小学生に戻ってしまった。どうぶつの森は自分の島のマス目の数を縦方向と横方向で数えて、それをエクセルにうつして島づくりに多大な時間を投下した。

ポケモンの方もあり得ないくらい時間を費やした。この頃になると育成面ではかなり楽になっており、色違いを出すために育て屋の前で卵を孵化させまくった。この体験で忍耐強さが育まれた。

それぞれに意味があったかは別として、いつの時代も熱中できる趣味があった。そしてそれは自らの幸福と密接にリンクしていたと思う。

家と会社を往復するだけの人生は空虚だ

別に労働を否定している訳ではない。仕事をして終わったら家に帰って次の日また仕事に行くという、ただその繰り返しだけで時間が過ぎていくのが悲しい。

趣味は人生を彩るスパイスだと思う。そして、たとえ仕事が辛いものだったとしてもそれを相殺できるパワーを持っていると思う。

現状「趣味」といえるものを考えてみると「ないんだなこれが」状態である。昔オリオン通りのヤンキーが栃木の魅力を聞かれて「ないんだなこれが」と答えたインタビューはあまりにも有名だ。

私は任天堂スイッチを持っており、毎日のようにコンピューター相手にマリオカートをしている。別に、それほどコースを走りたいわけではない。ただ手持ち無沙汰な時間が嫌で、走り過ぎて目を瞑っても走れるコースをまた走る。

お酒を飲むのも好きだけれど、依然と比べて飲酒量は劇的に減った。その動機が健康意識ではなく翌日の仕事への影響を考えてなのが悲しい。

休日に奥さんと出かけたり、カフェでコーヒーを飲むのも好きだ。けれども、目の前のコーヒーを飲むことに夢中になっている訳ではない。

好きというか「これをすると落ち着く」という行為はあるけれど、我を忘れて熱中してしまうような、ドーパミンが関わる趣味がなくなってしまった。

マリオカートはセロトニン的幸福だと思うし、奥さんとの外出はオキシトシン的幸福だと思う。そして頂点にあるドーパミン的幸福が欠けている。

その行為で何が分泌されるか

このあたりの詳しい話は樺沢さんの本を参考にしてほしいけれど、恐らく自分が現状の趣味に対して物足りなさを感じるのはドーパミン的な趣味がないからだと自分では考えている。

しかし裏を返せば、セロトニン的幸福とドーパミン的幸福はあると捉えることもできる。この2つがあるにもかかわらず更にその上のドーパミン的幸福を追い求めるのは欲深さのあらわれだろうか。

自分がポケモンだったら、間違いなく攻撃が低くて特攻が高いタイプだと思う。それで防御が高くて特防がやや弱い。HPとすばやさは普通な気がする。

アウトプットしたら現状特に問題ない気もしてきたので、今日もレインボーロードのインコースを攻めようと思う。

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