学生の頃に好きだったことといえば、まずはサイクリングかな。
30km離れた日光東照宮とか、同じく30km離れた烏山の龍門の滝とか、50km離れた渡良瀬遊水池に行ったりした。
日光を出る前に暗くなって恐怖に怯えながらトンネルをくぐったり、暗闇で野犬に死ぬほど追いかけられたり、渡良瀬川の橋の上で風に殴られたり色々な思い出がある。
それと家庭用ゲームも好きだった。特にポケモンシリーズ。
プラチナとハートゴールドとソードをやった。どれもあり得ないくらいやった。
チャンピョンロードでひたすらフローゼルを倒したり、育て屋の前でひたすら自転車を漕いだり。
なんか時間が無限に時間があるような、夜がずっと続くような、あの頃だからこそできた趣味だった。
あとは音楽も好きだったな、これは今もだけど。夏のフェスに行って暑さで気絶したり、ポール・マッカートニーをリアルで観て感動したり。
で、今よ。
仕事の日の自由時間は3時間がいいところ。ご飯などの最低限必要なことを抜くと2時間程度だろうか。
仕事の日を仕事だけで終わらせたくないという抗いがありつつ、何かをする気力もなく受動的な活動で終わってしまう。
YouTubeを観ながら酒を飲むのがルーチンワークになっている。
本当にこれでいいのだろうか。
時間を忘れるほど夢中でポケモンをやってたあの頃の方が良かったのではないだろうか。
仕事とプライベートの両立とは理想論で、現実には仕事から帰ると何もする気が起きない、何もしたくない。
社会人1年生の頃は残業もなく、仕事の日でも可処分時間が5〜6時間はあった。
だからiPadで当時夢中になってたPUBGというバトルロイヤルゲームを2〜3戦はやってた。
時間だけではなく仕事の疲労感が少なかったというのもあるのかな。
話を今に戻す。
仕事の日は一旦置いといて、休みの日は自由に使える時間が16時間程度ある。ご飯やシャワーの時間を抜いても。
そして現状、その多くをYouTubeやゲームに費やしている。
頭を使わずぼーっとできるから楽で、気づいたら時間が過ぎている。そして何も生産できなかった時間に若干の後悔をおぼえる。
趣味は人生に彩りをもたらすものだから、そこに生産性を求めるのはナンセンスだと思う。
一方で、より良い人生のためにはもっと他にできることがあるんじゃないか。
マリオカートは楽しい。だけど惰性でやってるのも否めないし、終わった後に「あ〜楽しかった」で終わってその先がない。
そのことに若干の危機感をおぼえたのが2ヶ月前くらい、受動的な娯楽の代替として「読書」という習慣を取り入れてみた。
そこから読んだ本といえば
- ストレスゼロの生き方
- 手ぶらで生きる
- 手放す練習
- 20代を無難に生きるな
- 人は聞き方が9割
- チーズはどこへ消えた
- 20代にとって大切な17のこと
- 考えすぎない人の考え方
意識が高そうで嫌なんだけど、小説系は苦手で、こういうジャンルの本が好きなので仕方ない。
読書習慣を取り入れて感じたのが「読書はメンタルに良い」ということ。
読書がメンタルヘルスに良いというのは調べればいくらでも出てくるけど、それを自分の体で実際に感じたことで読書とメンタルの関係をひしひしと感じている。
多分「読書に集中すると他のことを忘れる」という点がポイントな気がする。
ぼーっとしてたり受動的なことをしてると頭の中で勝手に考え事が始まるんだけど、活字を読んでるとそんな余裕ないからどうでもいいことがどっかに吹っ飛ぶ。
先の記事で暇だとロクなこと考えないって言ったけど、個人的には「読書をすることで暇をなくして不安や雑念を減らす」ついでに何か知識が付けばいいなという感じ。
誰かをする趣味とか外でする趣味は様々な制約を受けるけど、読書という趣味は「本」さえあればいい。
雨の日も風の日もできるし、一緒にやる友達も必要ない。
あれ、読書ってすごくいいんじゃない?
気付くのが少し遅かったかな。
今までYouTubeやゲームに費やしてた時間に読書してたら今頃どうなってたんだろうという意味のない想像もしてみた。
完全にYouTubeやゲームをやめたわけではなくて、今までそこに使ってた時間を読書に充てているという感覚。
別に何かを吸収しようみたいな高いモチベーションはなくて、ぼさっとしてると余計なこと考えるから文章を読んで煩悩を忘れようという気持ちで最近は本を読んでいる。
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